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続・二本のセミナーショック

先週木曜日号のつづき。

20代後半のある時期、一年中全国のセミナーを受講しまくった時期が
ある。責任者として「教育体系」をつくるためだった。
そんな受講遍歴のなかで特に印象的なセミナーが二本ある。正確にい
えば、セミナー前後のエピソードが印象的だったのだ。
先週はそのうちの一本についてお話しした。今日はもう一本の「エデ
ュケーター養成セミナー」での出来事を話してみたい。

チェーンストア経営において人事教育部門の専門家を「エデュケー
ター(Educator)」と言う。チェーンストアのような多店舗展開のビ
ジネスにあっては、店長やバイヤー、店舗開発など、実に多数の人材
が求められる。おのずと「エデュケーター」の役目も重大である。

セミナー講師が開口一番、受講者約200名に向かって出題した。
「エデュケーターの最大の役目は何だと思うか、ランダムに指名する
からその場で立って意見を述べなさい」

「ダイエーの○○君」「はい、社員を訓育することだと思います」
「ちがう!ヨーカドーの××君」「はい、社員の手本を示すことです」
「ちがう!ジャスコの△△君」「はい、教育制度をつくることです」
「ちがう!ニチイの○○君」「はい、・・・・」
10人ほど聞き終えてから講師は言った。「いずれも的はずれ!」と。

「エデュケーターは首切り屋である。首切りこそが最大の使命なの
である」というのだ。
私は夜行バスで岡崎から到着したばかりで少し眠気があったが、その
瞬間、仰天して一発で目覚めた。講師の話を思いきり要約するとこう
なる。

エデュケーターとは人材育成に関する高度な専門家、つまりスペシ
ャリストである。エデュケーターがやるべきことは、教育的社風を作
り上げること。エデュケーター自らが社員を教育するのではなく、社
員教育の仕組みや学ぶことを当然とする文化を培養すること。
その結果、将来の我が社に必要になるポスト人材を会社に安定供給す
る数値責任を負う。

人が育っていないということはエデュケーターの責任である。人が
育つ社風を作り上げるためにとても大切な仕事が首切りである。
「うかうかしておれん」「やって当たり前」という高い基準をつくる。
企業は、決して経営者自身が首切りをしてはならない。それをするの
はエデュケーターなのであるが、エデュケーターも、自らクビを宣告
するようでは二流である。

不勉強な社員、努力を惜しむような社員が自ら辞表を提出してくる
ような社風にすること。その反対に、勉強し、努力を惜しまずハード
に働き、成果をあげる人にはどんどんチャンスが回ってくるようにす
る。そんな若々しい実力主義の人事制度をつくること。学歴、社歴、
年齢による先輩後輩の序列はあるが、それが人事の判断材料に使われ
ることがあってはならない。

「社長、エデュケーターは首切り屋であると講師に言われました」
会社にもどり社長にレポートを提出しながら私はそう報告した。
社長は、「そうか」と笑っていたが、目の奥底で「その通りだ、頼む
ぞ」と言っていた。

その後、猛烈に先輩社員が辞めていった。
本は読まない、レポートは書かない、報告はしない、という人たちで
あった。

「バカやろ、お前が入ってくる前はこの会社はもっと家族的だった。
お前が来てから点取り虫がチヤホヤされる学校みたいになってしまっ
た」
そう私に言い放ち、社員証を私の机に叩きつけて退職したA先輩。

「夜道に気をつけろよ」と電話で不穏なメッセージをよこしてきたB
先輩。いずれも人間としては敬愛すべき対象だったが、会社が目ざす
方向とはあきらかにちがっていた。そのままの関係を続けることは、
お互いに不幸である。

そんななかで、一人だけ若い後輩たちに混じって課題図書を読み、
レポートを書いて急成長したベテラン店長がいた。彼は若い社員に敬
愛されたが、それも当然であろう。

この二本のセミナーが40年経った今でも忘れられないのである。おそ
らく、これからも忘れることはあるまい。